紅茶派・コーヒー派 [雑記]
昔の話ですが、絲はカウンセリングの講座に通っていた事があります。
それはそれでいろんな事が学べて充実した期間でした。
そうした勉強だけでなく、そこに集まってる人達から聞く話や人間関係にも学ぶ事もありました。
その中で、仲間同士のちょっとした諍いなどもありました。
それが、紅茶派vsコーヒー派の争いだったりした訳です。
どういう訳か偶然か、その時の同期の受講者には紅茶派の人が結構いたのです。
マンションの一室で行われていた受講教室でしたので、ダイニングキッチンなどもあってそこで好きに飲み物なども飲んでいました。
その時に、眠気覚ましにコーヒーを勧めた所、反発されてしまったのでした。
で、つい気になってしまい、どうしてコーヒーが飲めないのかと聞いたのですが、とにかく「苦い」「飲めない」という事でした。
慣れればどうか?薄めたらどう?という意見には、逆効果で嫌われましたね。
紅茶派は自分らが世間では少数派だと知ってるので、それに対しての不満を聞く事になってしまったのでした。
絲自身はコーヒーでも紅茶でも飲める派なのですが、コーヒーが飲める飲んでいたという事でコーヒー派に換算されちゃってましたね。
それでその時に気が付いたのが、
コーヒー派は紅茶も飲めるけれど、紅茶派はコーヒーは絶対に飲めない という事です。
何故そうなるかと言えば、おそらく濃さが問題なのではないかと思います。
味的にも苦味的にも見た目的にも、コーヒーの方が断然濃いのですよね。
紅茶の方が薄い…というと語弊がありますね。何というか繊細なのですよ。
なので、紅茶の繊細な味を好む舌には、濃い味のコーヒーは刺激が強く感じてしまうようです。
逆に、刺激の強いコーヒーを好む人は、紅茶は飲めるもののちょっと物足りなさを感じてしまうようでした。
更に気が付いたのですが、この理論って他のものでも適用出来るのですよね。
例えば、あっさり味とこってり味がある場合、
こってり好きはあっさり味も食べられるけれど、あっさり好きはこってりは食べられない とか。
大は小を兼ねる…と言うとちょっと違う気もするのですが、濃いものと薄いもの、刺激の強いものと繊細なもの、とで嗜好が違う場合には、より濃いものの好きなほうが薄いものも兼ねれるが、より繊細なほうは濃いものは受け入れられない という事のようです。
探せば、この理論に適用できる例は他にも見つかりそうですよ。